『よりの構文』をマスターしよう!
おはようございます!
今日もゆるめのスタイルで行こうと思います。
皆さんは、『よりの構文』というものをご存知でしょうか?
知ってるよ!って人も、本当に正しく『よりの構文』を使いこなすことができますか?
『よりの構文』は、今や大学文法の基本中の基本といっても過言ではありません。
というよりむしろ、そろそろ正式な日本語文法に導入されてもおかしくないのではと個人的には思っています (笑)
それくらいに便利な『よりの構文』。これを正しくマスターすることで、皆さんの表現の幅が広がることは間違いありません。
それでは、今から一緒に『よりの構文』について、復習していきましょう。
I. 『よりの構文』とは?
まずは、『よりの構文』とは何か。『よりの構文』の基本について。
『よりの構文』とは、「⚪︎⚪︎よりの⚪︎⚪︎」(⚪︎⚪︎に入る言葉は任意)という基本形があります。簡単ですね。
決して、「⚪︎⚪︎よりに⚪︎⚪︎」や「⚪︎⚪︎よりな⚪︎⚪︎」、「⚪︎⚪︎より⚪︎⚪︎」などは『よりの構文』ではないので、注意してください。(それぞれ強調、修飾、比較の意味を持ちます。)
さらに、『よりの構文』では「より」を用いていますが、これは文法上の格助詞よりの持つ意味(比較など)は実質上失っているので、別の構文として理解するのが良いでしょう。
II. 『よりの構文』の基本形(『2語よりの構文』)
『よりの構文』の基本形といえば、間違いなく『2語よりの構文』でしょう。
『2語よりの構文』とは、先にも紹介した「⚪︎⚪︎よりの⚪︎⚪︎」(⚪︎⚪︎に入る言葉は任意)という、『よりの構文』の最もスタンダードな形をとります。
今回はその代表的な例として、最も有名な『2語よりの構文』4種類を紹介します。
この4種類さえマスターすれば、ほとんど全てのことを『2語よりの構文』で表現することができるでしょう。
まず大学文法では、物事を単純化するために『プラス』『マイナス』『プラスマイナスゼロ』の3種類に分類することが基本となっています。
例えば、そのそれぞれに対応する形容詞(形容動詞)として、「すばらしい」「きびしい」「ビミョー(だ)」があることが挙げられます。(ネイティブスピーカーはそれぞれの発音時のイントネーションを、その時の感情を背景に「すばらしい」では上がり調子、「きびしい」では下がり調子、そして「ビミョー」では平坦にと区別しているとも言われています。)
しかし、『よりの構文』はその時々の自分の感情や主観的な判断を伝えるという役割が強いため、今回『プラスマイナスゼロ』の表現は考えないことにします。(高等テクニックとして『よりの構文』を用いた『プラスマイナスゼロ』の表現もないことはない。)
ここでは、『プラス』の表現の例として「アリ」、『マイナス』の表現の例として「ナシ」を用いることにします。
すると、次のような4種類の『よりの構文』が出来上がりました。
・アリよりのアリ
・ナシよりのアリ
・アリよりのナシ
・ナシよりのナシ
ここで意識することは、「⚪︎⚪︎よりの⚪︎⚪︎」の2つの⚪︎⚪︎のうち、前者が発言者の心情を、後者が発言者の判断を、それぞれ表現しているという原則です。
発言者の判断が一番重要、つまり最終的な結論となる部分なので、後者の方を事実として意識しておけばいいでしょう。
もちろん、発言者の感情を理解するという面では、前者の方を意識することも大切なのですが。
結果的に、「アリよりのアリ」は「アリにしか思えないくらいアリ」、「ナシよりのアリ」は「ナシにも思えるがまあアリ」、「アリよりのナシ」は「アリにも思えなくもないがまあナシ」、「ナシよりのナシ」は「ナシにしか思えないくらいナシ」くらいの意味になります。
つまり、肯定的(プラス)の度合いが強い順に「アリよりのアリ」>「ナシよりのアリ」>「アリよりのナシ」>「ナシよりのナシ」と次第に否定的(マイナス)になっていくのです。
この関係さえ覚えておけば、今まで「アリ」と「ナシ」の2語でしか表現できなかった心情や判断を、4種類に分類して正確に表現することができるわけです。
『よりの構文』、恐るべし.......
これを使いこなせるようになること、アリよりのアリですね!!!
III. 『よりの構文』の応用編(『3語よりの構文』)
ここからは『よりの構文』の応用なので、先に紹介した『2語よりの構文』をカンペキにマスターしてる人だけが使うようにしてください。
そうしないと、かえって混乱してしまう結果になってしまうので......
『3語よりの構文』とは3つの言葉で繋がった『よりの構文』、すなわち「⚪︎⚪︎よりの⚪︎⚪︎よりの⚪︎⚪︎」といった形で表される『よりの構文』です。
この『3語よりの構文』の具体例は割愛しますが(『2語よりの構文』をカンペキにマスターしている人なら、それでもなんとなくわかるようになると思います。)、ポイントは『2語よりの構文』の前に「⚪︎⚪︎よりの」が形式的にかかっているだけだと見抜くことです。
この原則さえ理解すれば、あとは『2語よりの構文』と同様に考えることができます。
『3語よりの構文』の3つの⚪︎⚪︎のうち、2番目(真ん中)の⚪︎⚪︎は『2語よりの構文』の最初の⚪︎⚪︎と同じなので、発言者の心情を、3番目(最後)の⚪︎⚪︎は『2語よりの構文』の最後の⚪︎⚪︎と同じなので、発言者の判断をそれぞれ表していると一瞬で見抜くことができます。
このことから『2語よりの構文』と同様にして、発言者の判断が結論として一番重要ですから、最後の⚪︎⚪︎を事実として意識しておきさえすればいいでしょう。
そして発言者の感情を理解したいときには、2番目(真ん中)の⚪︎⚪︎を意識すれば良いのです。
とても簡単ですね。
ここで、賢い皆さんは疑問に思うことでしょう。
それじゃあ、一番最初の⚪︎⚪︎には何の意味もないんじゃないか、って。
はい、そうです。
結論から言うと、一番最初の⚪︎⚪︎には特に込められた意味はありません。
最初に書いたように、『3語よりの構文』の最初の⚪︎⚪︎は、あくまで『形式的』にかかっている「⚪︎⚪︎よりの」にすぎません。
それでは、どういう場合にわざわざ形式的に「⚪︎⚪︎よりの」をかけていく必要があるのか。
それは、最初の「⚪︎⚪︎よりの」の部分が一般的・社会的な通念を表している場面や、相手の考えているであろうと予測されることを表す場面です。
この時、いきなり『2語よりの構文』で自分の主張だけを行ってもいいのですが、その前にワンクッションを置くために、1つ相手にとって受け入れやすく柔らかい「⚪︎⚪︎よりの」を挟むことで、スムースにその後の主張に移ることができます。
このような日本語本来の美しさも、『よりの構文』をはじめとした大学文法の中にも垣間見ることができるんですね。
今回の記事では、『よりの構文』を紹介しましたが、これは大学基礎文法のごくごく一部にしかすぎません。
大学文法もとても奥が深く、また時に難しいものです。
今後もこの大学文法の解説記事は定期的に上げていこうと思います。
皆さんが大学文法をマスターして、楽しく充実した大学生活を送れますように!
おぉっつかれぇぇぇぇぃいいい!!!
テスト前なのにやる気が出ない......
テスト前なのにやる気が出ない......
思い当たる節がある人も多いのではないでしょうか。
実際、今の自分もそれに近い状態です (笑)
ということで、今日はテスト前なのにやる気が出ない現象について、考えていきましょう。
テスト前なのにやる気が出ない理由として考えられるのは、やらなければならないこと(テスト勉強)とテスト前なのにやる気が出ないという現実の板挟みになって、にっちもさっちもいかなくなっているということが考えられます。
この状態を解消するためには、とりあえずやってみるということが大切だとはよく言われることですが、そのとりあえずやってみるためのやる気が問題なんですよね... (笑)
いわば、エンジンがかからない状態。
この状態を解消するために最も良い方法、それが「時間を決めてちょっとだけやってみる!」です。
例えば、「5分間だけ!」とか決めてやってみると、不思議とやる気が出てきたりするかも???(大学生のテスト勉強が5分で十分なのかどうかの議論はこの際置いておいて)
そして実際のところ、5分間だけ勉強するやる気を持っている人は、実は10分20分と、もっと長い時間でも勉強できるだけのやる気を隠し持っていたりするんです。
つまり、「一回エンジンがかかってしまえば、後はこっちのもの!」みたいなイメージです。
このエンジンをかける方法として、他にも有効なものには(くわちゃ調べ)好きな音楽を聴くことや、熱い言葉を浴びることなどもあります。
熱い言葉といえば典型的な熱い男、松岡修造大先生なんて方もいらっしゃいますよね!
(くわちゃ自身も熱いタイプだと言われることも多いのですが、この方には到底かないません...... てか、眩しすぎる..............)
今回はこの松岡修造さんのめちゃくちゃ熱ーいお言葉のリンク、皆さんのためにつけておきました。
松岡修造さんの暑苦しい熱ーいお言葉は、他にもたくさんありますので、皆さんも是非探してみてくださいね!
あと、どうしてもやる気が出ないときは、とりあえず寝てみるのも一つの方法かもしれませんよ。(テスト前なのに昼寝しすぎて頭ボーッとしまくったとか言えない......)
今日も昨日に引き続き、少しゆるめの記事でしたね。
次回以降の記事にも、乞うご期待ください!
『カワイイ』で広がる世界
こんばんは。
4回目の更新で、すっかりおなじみとなりました、くわちゃです。
昨日までの記事とは趣向を変えて、今日はゆるふわ路線で行きたいと思います。
世の中には、『カワイイ』という言葉が溢れています。
この『カワイイ』という言葉は、女の子が良く使っているイメージがあります。(もちろん男子が使うことも多いとは思いますが......)
今日はこの、『カワイイ』について少し考えてみました。
この『カワイイ』という言葉が使われる場面は、大概プラスの場面だと考えられます。
つまり、『カワイイ』には基本的に悪い意味はないと考えて間違いありません。(多分.......)
では、そもそも『カワイイ』とは何なのか?
goo国語辞典で調べてみると、以下のようにありました。
- 1 小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま。
- ㋐愛情をもって大事にしてやりたい気持ちを覚えるさま。愛すべきである。
- ㋑いかにも幼く、邪気のないようすで、人の心をひきつけるさま。あどけなく愛らしい。
- 2 物が小さくできていて、愛らしく見えるさま。
- 3 無邪気で、憎めない。すれてなく、子供っぽい。
- 4 かわいそうだ。ふびんである
4番は少し違う意味なので置いておくとして、全てに共通して、『弱いものに対する愛情』といったニュアンスがあるのではないでしょうか?
しかし、現在の『カワイイ』、特に女の子が言う『カワイイ』はそれから派生しているように思えます。
彼女たちの手にかかれば、とにかくプラスな物事はだいたい全部『カワイイ』で片付けてしまうことができます。
けれど、その『カワイイ』に込められた意味は、状況次第で様々なのではないでしょうか?
現代を生きる我々には、この『カワイイ』を使いこなし、その場に応じて最も適切なニュアンスで『カワイイ』の真意を判断する能力が求められている、といっても過言ではありません。
逆に言えば、この『カワイイ』の正しい用法さえマスターすることができれば日本語の達人、いや世界中の人たちと分かり合えることも可能になるかもしれません。
この無限の可能性を持った『カワイイ』という言葉を正しく理解することこそが、我々の目指すボキャ貧脱却の道標、すなわち日本語を取り戻すことにつながるのではないでしょうか。
とはいえかくいう自分も『カワイイ』のネイティブスピーカーではないので、世の『カワイイ』のネイティブスピーカーの女性の方々から、今後も正しい『カワイイ』の用法を学びつづけていく必要はありそうです。
今回の『カワイイ』論について、何か意見や間違いなどございましたら、下のコメント欄などを通して教えてくださいね。
今回の記事はちょっとゆるふわ路線でしたね。
日本語を取り戻すべく、これからも精進していきましょう。
大学における基礎研究の意義について
3回目の更新になりました。くわちゃです。
昨今、国策として国立大学での人文社会学系の学問分野の規模縮小が取りざたされています。
この件に関して、思うところをつらつらと。
その背景には、国が税金としてお金をかけて学問に『投資』した以上は、目に見える形で社会に還元しなければならない責任が学問にはあるという論理があるのではないかと思います。
そして、その目に見える形で社会に還元できる学問の『成果』として一番最初に考えられるのが、お金になるということです。
つまり、税金として『投資』したお金以上のお金が社会に対して還元されること、これを国は期待しているといえます。
しかし、学問とは本来、短期眼的な収益を得ることを目的とした『投資』の対象となるようなものでしょうか?
研究の学問的意義とは、果たして社会に還元しお金になることだけなのでしょうか。
これは違うのではないかと思います。
確かに、すぐにお金になる成果が得られるような研究は、即時的に社会に還元するという意味で、素晴らしいとは思います。
しかし、全てが全てそういう研究ではないし、すぐにお金にならないからと切り捨てていくのは違うのではないかと思います。
本来、研究の学問的意義とは、『わからないことがわかるようになる』という発見そのものにあると思います。
その成果を応用し社会に還元してお金になるという、いわゆる『社会的意義』はこの学問的意義に付随するものであり、おまけにしかすぎません。
このおまけにすぎない『社会的意義』なるものを必要以上に重要視したあまり、すぐに『成果』が得られない学問を切り捨てていくことが、今の国策として行われている基礎研究や人文社会系の学問の軽視という現実につながっているのではないかと思います。
さらに、基礎研究としての学問に金銭面含め社会的な『成果』が皆無なのかと言われると、決してそうではないと思います。
確かに、研究とは本来誰もやったことのないことをやっていく営みなので、どんな結果が得られるかはわかりません。
まさにアドベンチャーそのものです。
その上でどのような社会的な『成果』が還元されるかなど、研究の最初の段階では到底わかりようもありません。
しかし、研究の最初の段階では計り知れないような、大きな大きな社会的な『成果』が得られる可能性も、基礎研究には秘められていると思うのです。
この基礎研究には、その後の世界を変えてしまうような、無限の可能性が秘められているといっても過言ではありません。
それを、社会的な意義がわかりにくいから、すぐに『成果』が得られないからといって切り捨てるのは、おかしい話なのではないかと思います。
こうした長期スパンでの『成果』を伴う研究というものは、個々人によって行うことは到底できません。(昔の金持ちの貴族が趣味として科学的真理を探求していた時代を除く)
だからこそ、こういう大掛かりな仕事は国がサポートして、行う必要があるのではないかと思います。
そのために、国立大学法人なるものは存在しているのではないか、と。
これが大学で基礎研究が行われている社会的な意味なのではないかと思いました。
だからこそ、税金をかけてまで基礎研究は行われているんですね。
これは、すぐにお金が返ってくることを見越した株式投資などとはまた違った次元の話で、すごく長期スパンな成果を期待した『投資』です。
だからこそ、短期的な利益があげられないからといって、その『投資』をやめてしまうのは問題ではないかと思うわけです。
ゆるふわな記事を書くつもりでいましたが、今回も難しいテーマになりましたね。
次回はどんなテーマの記事になるか。乞うご期待ください。
水族館に見る幸せのあり方
こんばんは。
2度目の更新となりました、くわちゃです。
今日は大阪某所の水族館に遊びに行ってきました。
そこで、水槽に暮らす生き物を見ていて感じたこと思ったこと考えたことをつらつらと。
水族館に生きる生き物たちは確かに、快適な環境や十分な食糧、そして何より天敵から守られた安心・安全な生活の全てが保証されています。
一見、これは生き物たちにとってはパラダイスのようにも思えます。
しかし、本当にこれで水槽に暮らす生き物たちは、幸せだと言い切ることができるのでしょうか。
僕にはその答えはわかりかねません。
しかし、1つだけ確実に言えることがあります。
それは、もし自分が同じ立場になったとしたら、確実に退屈な人生だと感じるだろうなぁ……………と。
それはすなわち、人生自体に満足していないという意味で、不幸な生き方なのではないでしょうか。
人間ももちろんそうですが、全ての生き物たちにとって、満足した生き方というものは、幸せに生きる絶対条件だと思います。
つまり、本当の意味で幸せに生きるということは、ただ漫然と生命活動を維持しつつ時を過ごすことでは決してなく、夢を持ってそれに向けて努力し続けるということなのではないでしょうか?
人間にとって、それこそが一番大切なことなのではないか、と考えました。
何だか今日は手厳しい記事になってしまいましたね。
次はもっとゆるふわな記事にします。
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こんにちは。
最近巷ではブログなるものが流行っているらしく、自分も挑戦してみようかと軽い気持ちで立ち上げてみました。
しかし、ブログを始める前にはかの清少納言氏や紀貫之氏、吉田兼好氏や中川翔子氏にも引けを取らないような面白いブログを書こう!と意気込んではいたものの、実際に書いてみようとすると、そこには大きな大きな壁がありました......
そう。ボキャブラリーが貧弱、いわゆるボキャ貧な大学生にとって、美しい日本語を用いて文章をしたため、全世界へと発信するというこの一連の作業がなんと難しいことだろうか.......
自分がボキャ貧であることを忘れたわけではありませんが、その作業は想像以上に難しいものでした。
と、いうことで。
実際に本格的なブログを立ち上げる前の予行演習として、日本語の文章を書く練習を行うという目的のもと、このブログを立ち上げました。
まだまだ日本語が不自由なので、お見苦しい点もあるかと思いますが、よろしくお願いします。
また、更新も気が向いたときに気が向くままに行っていくつもりでいるので、更新が滞っていたとしても、気長にお待ちいただけたら嬉しいです。